【感想】映画「何者」と「輪るピングドラム」

生存戦略 きっと何者にもなれないお前たちに告げる」


映画『何者』を観てきた。
原作は映画化が決まるずいぶん前に読んだことがあったが、映像で観ると更に胸に迫るものがある。
賛否両論あるようだが、私は好きな映画だった。

さて冒頭の一文は、2011年に放送されたアニメ『輪るピングドラム』の作中、繰り返し叫ばれるセリフである。
『何者』を観て、私がふと思い出したのがこれだった。
このアニメ自体は就活モノでも何でもないのだが、しかしどちらも「選ばれる」ことが一つのテーマであるという点において共通している。
そして、選ばれない人たちの物語であることも。


「この世界は選ばれるか選ばれないかー選ばれないことは、死ぬこと。」
「ここは子どもブロイラーだよ。いらない子どもたちが集められる場所。ここで僕らは透明な存在になって、やがて世界から消えてなくなるんだ。」


どちらも同じく『輪るピングドラム』作中からの引用。
現実にこどもブロイラーなんて施設は存在しないけれど、結果だけ見れば何も変わらない。
誰にも選ばれず、何者にもなれない彼らは、そして私たちは、透明になって消えていくのだ。

輪るピングドラム』では、最後は愛によって登場人物の殆どは救済される。
家族愛や、友愛や、恋愛により、運命に打ち勝つのだ。
しかし『何者』は救済されないまま、そんな存在の叫び、という所までで終わっている。
そこが少し残念ではあった。
ハッピーエンドとまでは行かずとも、私は彼らがその後どうやって生きていくのかまで描いて欲しかった。
社会の歯車として透明になっていく姿を、はっきりと映して欲しかった。
つまりは、「生存戦略」が見たかったのだがーそこはまあ、辛すぎるので割愛したと思うことにする。

若干批評じみてしまったが、最初に述べたとおり総合的には好きな映画だった。
そして、色んな人に観て欲しい映画でもあった。
あと個人的に、これを観て刺さった人は是非『輪るピングドラム』も観て欲しい。
少々難解ではあるけど、本当に"言葉"が美しいアニメなので。
私から言えることはそのくらいです。


最後に、このブログを読んでくれた方へ
「選んでくれて、ありがとう。」

彼女ら

夏用の薄いスカートから覗く膝小僧は太陽みたいだった。

真っ白にピンクで乗算掛けてなんかない、日焼けして傷跡も目立つ。なのに眩しい。

見ていられなくて思わず俯くと、自分のそれが目に入る。
おんなじ膝なのに、むしろ私の方が色は白いのに。

ちがった。
そこにあるのは、ただの関節であった。
骨の塊のうえにうすい皮膚がピンと張って
確かにそれは若さの象徴に他ならないものだった、
なのに。

私は原因を模索した。そして思った。
人生を最も効率よくクリアしようと、流されて楽して生きてきた私の全ては、目には優しいけどそれだけだ。

見るものを圧倒させるような
暴力的なくらい眩い光を放つもの、
"青春"と呼ばれるそれを、はじめて心の底から憎んだ瞬間だった。

青い

きらきらした笑顔で恋愛相談を持ち掛ける友人たちを前に、私はただかわいいなあと目を細める。
毎日を軽やかに駆け抜けていく彼女らは、二度と戻れないこの時間の重さを本能的に知っている。
いま自分たちにのみ許された行為を、それはもう徹底的にむしゃぶり尽くして、そうして大人に向かっていく。
私にはそれが出来ない。
中途半端に頭が固くなって、しかし中身は誰より幼いわたしは、きっと何もしないままこの眩しいひとときを終えていくのだ。つらい。

パステルカラーのはなし

淡い色というものが、昔から嫌いだ。

理由は分からない。しかし生理的嫌悪とでも言うべき拒絶感を、幼いながらも本能的に感じていた。
水色にピンクにレモンイエロー、暴力的なまでに柔らかな幸福の象徴たち。
軽やかであるはずのそれらを買い与えられる度、何故だかひどく息苦しくなった。

子供服売り場の前を通りがかると、あの感覚が蘇る。
"パステルカラーに殺される。"
いつもそんな言葉が頭に浮かぶ。

ここには好きなもの、嫌いなもの、ぜんぶ思うままに書き綴ってゆきたい。
ちょっとずつ、ね。